私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(ピリピ人への手紙4章19節)

1.創世記221節―14
2.マタイの福音書627節―33
3.ヘブル人への手紙124節―11
4.ペテロの手紙第二1章1節―4節

ヨハネの福音書2章23節―25節は「イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった(新共同訳:彼らを信用しなかった)。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」と、人は自分のことは自分が一番よく知っていると思いがちですが、イエス様の方が、私たちひとりひとりを私たちが私たち自身を知っている以上によくご存知であることを語っていますし、イエス様は「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。(マタイの福音書6章7節―8節)」と、私たちの神は私たちに何が必要なのかをご存知であることを教えられました。今日の聖句でパウロは「私の神」と神との個人的な関係を語ってから「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」と、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょうか。(ローマ人への手紙8章 32節)」とキリスト者に語っています。ヘブル人への手紙12章4節―11節には私たちが平安な義の実を結ぶため主は私たちを訓練されることを語っていますが、主は試練とともに脱出の道をも備えてくださっていることをも心に据えて(コリント人への手紙第一10章13節)、主を信頼し、主に拠り頼む生活をしようではありませんか。