神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落語する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(ヘブル人への手紙4章10節―11節)

1.マタイの福音書1128節―30
2.コリンと人への手紙第一15章3節ー10節
3.ピリピ人への手紙46節―7
4.ヘブル人への手紙3章12節―4章1節

主はエジプトの地で苦しんでいたイスラエルの民を救うためにモーセを遣わされましたが、その際、モーセに「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」と、主がご用意されている地がどのようなものであるかを語られました。主はモーセとアロンを用いてさまざまな奇蹟をエジプトで行っただけでなく、紅海においてはエジプト軍を一人残らず溺死させられるような奇蹟をもってエジプトの手から完全に救われたのですが、そのような奇蹟を体験しながらも約束の地へ向かう荒野において主を信頼するよりも肉の思いや欲にかられて、エジプトを懐かしむようなことを言い、約束の地についてモーセには「そこはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。」と言いながら、民には約束の地について悪く言いふらしたために「私たちはエジプトで死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。(民数記13章27節及び32節―14章3節)。」と民がつぶやいたために、主はカレブとヨシュア以外の二十歳以上の者は彼らが願ったように荒野で亡くなること、安息の地に入ることができないことを宣言されたのでした。今日の聖句は「神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落語する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」と荒野で亡くなった民のようにならないように勧めています。「神の恵みよって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです(コリンと人への手紙第一15章10節)。私は私を強くしてくだる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)」というパウロのことばに安息に入る秘訣は、恵みに、キリストに生きることのように思わされました。恵みが実現するためにイエス様がどれほど苦しまれたかを思うとともに、恵みによって罪や死だけでなく、世からも救われていることを感謝し、主を誉めたたえて生きようではありませんか。