金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(テモテへの手紙第一6章9節―10節)
1.箴言30章7節―9節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節
3.テモテへの手紙第二3章1節ー7節
4.ヨハネの手紙第一2章15節―17節
神が禁じた善悪の知識の木からアダムも食べたことによって人類に死が入ったわけですが、食べてしまった原因をアダムは「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」と神とエバのせいにし、エバは「蛇が私を惑わしたのです。」と蛇のせいにしましたが、ヤコブの手紙1章12節―16節「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と、原因は彼らの欲にあったことがわかります。今日の聖句は「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」と、キリスト者が留意すべき点を語っています。福音書の弟子たちはイエス様の頭にひとりの女性が香油を注いだことに憤慨しましたし、主と三年半寝食を共にしながらもイエス様を信じていなかったユダは銀貨三十枚でイエス様を売ったのでした(マタイの福音書26章6節―16節)。この世は「金がものをいう」と、財力が社会的地位や権力に影響を与える力があるため、経済力によって国の勢力がはかられるため、国家間においてさまざまな駆け引きがなされているのではないでしょうか。パウロは「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」と言ってから、「その時に人々は自分を愛する者、金を愛する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。」と語っているように、困難な時代になる原因は何を愛するかにかかっているのではないでしょうか。神は自分のために富を求めなかったソロモンに「あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える」と、富むことを神は禁じていませんが、ソロモンが自分のために富を求めなかったのは、神を愛していたからではなかったでしょうか(列王記第一3章3節―13節)。今週は受難週です。罪人を救うために愛する御子をお遣わしくださった神を、十字架で神の愛を示されたイエス様を何よりも愛するように助け主である聖霊様に助けていただこうではありませんか。