主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。主よ。なんと幸なことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。(詩篇94篇11節−12節)

1.詩篇336節―22
2.ルカの福音書1213節―31
3.ヘブル人への手紙122節―11
4.ヤコブの手紙413節―15

神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑か。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身についていようと考えた。(伝道者の書2章1節―3節)」と、この世のあらゆる分野を探索して見極めた結果、「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。(伝道者の書1章2節ー3節」と、「日の下」、すなわちこの世が与えることができるのは空しさであることを語るとともに「伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることは、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章10節ー13節)」と、神は人の知恵では完全に把握できないほど偉大な方であり、みことばに生きること以外に人にとって大切なものはないことを語る中で、「ひとりの羊飼い」、すなわち、主から与えられたことを語っています。この世の価値観や生き方で物事を捉えてしまうと、自分の思っているとおりに物事が運ばないと、つぶやいたり、人をうらやんだり、自分に信仰がないからではないか、と自分をさばいたりしてしまうのではないでしょうか。そのような時、今日の聖句「主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。主よ。なんと幸なことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。」を思い起こし、主が何か教えようとされておられるのではないか、と謙遜になって主の前に静まり、愛する者を訓練される主の主権を認め、幸いな者とされていることを感謝しようではありませんか。