どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。(エペソ人への手紙3章16節)

1.ローマ人への手紙715節―82
2.コリント人への手紙第二4章13節ー18節
3.ピリピ人への手紙4章12節ー13節
4.コロサイ人への手紙1章9 節ー14節

イエス様は昇天される前、弟子たちに「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい(ルカの福音書24章46節―49節)。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられたように五殉節(ペンテコステ)に聖霊が下り、聖霊に満たされたペテロは恐れから解放され、他の十一人とともに立って、声を張り上げてヨエル書を引用して福音を語り「イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」と大胆に語ったので、ペテロの話を聞いた人々の心が刺されペテロと使徒たちに「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言い、ペテロの勧めに従って3000人がバプテスマを受けて教会が起こされたのでした。パウロは「私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。(ローマ人への手紙7章21節―23節)」と、みことばを喜んでみことばに従うためには内なる人が強められる必要があることを実感された上で「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように」と祈られているのではないでしょうか。自分の力ではどうにもならない肉の思いに勝利するために内なる人を強くしてくださるように御霊の力を注いでくださるように祈ろうではありませんか。