心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。(マタイの福音書5章8節)

1.ヨハネの福音書31節―7
2.ヨハネの福音書17章13節―20節
3.ローマ人への手紙1514節―16
4.ペテロの手紙第一1章13節―14節

今日の聖句は「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」と、神を見ることができるのは心のきよさにかかっていることを語っていますが、エレミヤ書17章9節―10節は「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる」と、ヘブル人への手紙10章22節は「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」と、生まれながらの人間の心は、良心さえも邪悪であると語っています。ですから、イエス様はユダヤ人の指導者ニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」と、パウロが自分に与えられた使命について「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。(ローマ人への手紙15章16節)」と語っているように、心のきよい者になるためには、御霊の働きが不可欠であり、そのためには、まず罪を取り除いてくださるイエス様を信じる必要があることを語っています。ですから、キリスト者は天の国籍を持っているのでやがて神の国に入り神である主を実際に見ることになりますが、ヘブル人への手紙12章14節は「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」と、日々、主を見る生活をするために私たち自身がすべきことを語っています。ダビデは「私はいつも、私の前に主を置いた。(詩篇16篇8節)」と言われたように、アブサロムが謀反を起こしたのでエルサレムから逃れましたが、その途上でサウルの家の一族のひとりシムいから石を投げつけられたり、のろわれたりしましたが、シムイを殺そうとしたアビシャイや家来たちに「彼がのろうのは、主が彼に『ダビデをのろえ』と言われたからだ。・・たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」と、シムイを殺害する事を禁じたのでした。ダビデは自分の考えで行動してさまざまな罪を犯しましたが、常に主に立ち返ったダビデのように、私たちも日々恵みとまことに満ちている主を見上げる生活をしようではありませんか。