神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)
1.ローマ人への手紙10章1節―17節
2.コリント人への手紙 第一15章3節―10節
3.エペソ人への手紙2章1節―9節
サウロとも呼ばれていたパウロは律法による自分の義に生きていたときには、自分の考えでイエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ(使徒の働き26章9節ー19節)、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰によって与えられる神の義を知る者(ピリピ人への手紙3章9節)となり、神の義を知らないイスラエルの民の救いを願う者、行いによるのではなく恵みによる救いを体験し(エペソ人への手紙2章8節)、最も大切なのは十字架の死と復活であることを語るとともに「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵です。(コリント人への手紙第一15章9節―10節)」と自分ではなく恵みに生きる者となられたのでした。ヘブル人への手紙4章15節―16節は「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに合われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなう助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めています。今日の聖句「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」は、恵みを知ったパウロのことばです。パウロのように、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々」、すなわちキリスト者のために神はどんな失敗も益としてくださる方であることを心に据え、主を誉めたたえて生きようではありませんか。