キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。(コロサイ人への手紙3章15節)

1.ルカの福音書111節―14
2.エペソ人への手紙28節―19
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.コロサイ人への手紙3章2節―15節

人は平和を求め続けていますが、いまだかつて世界平和を見ることができませんが、その原因は欲望であり、他の人と平和な関係を築き上げることが難しいどころか、争いを引き起こすような状態に陥ってしまうことをヤコブの手紙4章1節―2節は語っていますところで、イエス様は、天の父は私たちに何が必要なのかをよくご存知な方であることを話されてから、「神の国とそ義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と、これらのもの、すなわち生活に必要なものは主が与えてくださることを話されました(マタイの福音書6章8節及び27節―33節)。パウロはコロサイの聖徒たちに「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくだったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。」と勧めています。キリスト者であっても肉の欲や、肉の思いに支配されて間違いを犯しやすいものですが、罪人を救うために十字架にかけられながらも人々のためにとりなして祈られ、神の愛を示されたイエス様のことを考えるなら、だれも自分を誇ることができないばかりか、恵みとまことを実現され、されたイエス様に感謝を、御子を人としてお遣わしになられた神をほめたたえる以外に道はないのではないでしょうか。そうするならば、心が欲から解放され、キリストの平和が心にそそがれるのではないでしょうか。信仰の創始者であり完成者であるとともに平和の君(イザヤ書9章6節)であるイエス様がいつもともにいてくださることを感謝しようではありませんか。