私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。(詩篇25篇15節)
1.詩篇16篇7節―11節
2.詩篇121篇1節―8節
3.箴言3章5節ー6節
4.ヘブル人への手紙12章2節11節
主はヨシュアに「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強く、雄々しくあれ、わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。・・・・わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア記1章5節―7節及び9節)」と、主がいつも一緒におられるという保証とともに恐れないように三度も仰せられたことから、彼がいかに弱さを覚えていたかがわかります。イエス様が水の上を歩いて来られるのを見てペテロが「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来いとお命じになってください。」と申し上げると、イエス様は「来なさい。」と言われたので、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエス様のほうに行ったのですが、風を見てこわくなり、沈みかけたので「主よ。助けてぃうださい」と叫び出すと、イエス様はすぐに手を伸ばしてペテロをつかんで「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」と仰せられました(マタイの福音書14章26節―31節)。今日の聖句が「私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。」と勧めているように、心配や恐れ、思い煩いが襲って来るようなとき、水の上を歩かれた主を、信仰の創始者であり完成者であるイエス様に目を向け、日々の歩みをとりなして祈っていてくださる主に導いていただこうではありませんか。