るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。(箴言27章21節)

1.使徒の働き1220節―25
2.使徒の働き148節―19
3.コリント人への手紙 第二12章1節ー10節
4.エペソ人への手紙1章3節ー6節

イエス様は「あなたがたが愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。(ヨハネの福音書15章17節)」と、「アガパオ」、すなわち神の愛で愛し合うように仰せられたのですが、ヨハネの手紙第一4章9節が「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」と神の愛はイエス様によって明らかにされたことを語っています。イエス様はご自分のもとに来ようとしないユダヤ人たちに「わたしは人からの栄誉は受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。(ヨハネの福音書5章41節―42節)」と仰せられたように神の愛を知らず、また神の愛をもっていないと、人間関係ばかりに心が奪われ、人の評判を気にして一喜一憂し、心の安定を欠いてしまうのではないでしょうか。神の愛と恵みを知ったパウロは、第三の天にまで引き上げられたことを話しましたが、人が過大評価しないように「私はキリストにあるひとりの人を知っています。」と「たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。」と、「愚か者」すなわち神を忘れるような者にはならないことを、悪評を受けても、好評を得てもキリストのしもべとして人からの評価に左右されない生き方をされたのです(コリント人への手紙 第二6章7節―8節)。今日の聖句「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。」を心に据えて、人から称賛されたとき、有頂天にならずに、良い行いをも備えてくださった主を誉めたたえ(エペソ人への手紙2章10節)、主に栄光を帰そうではありませんか。