私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。(ローマ人への手紙2章16節)

1.詩篇1303節―4
2.コリント人への手紙 第二51節―11
3.ヘブル人への手紙7章24節ー28節
4.ヘブル人への手紙919節―28

昨日、ニュースで河井案里さんの公判でご主人の克行氏が検察側の証人として出廷したにもかかわらず、検察側の尋問にたいして証言を拒否されたという報道がなされました。彼は巧みに答えたようですが、地上での裁判に勝利したとしても、黙示録20章12節が「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」と語っているように、すべての人は、死後、神にさばかれる立場にあり、その時には、何事も神に隠しおおせることはできませんが、それは河井ご夫妻に限らず、すべての人に言えることではないでしょうか。イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)」と神のさばきから救われる道を約束されました。主は真実な方ですから、約束を無効になさるような方ではありません。ですから、パウロは「私にはやましいことは少しもありません。だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙 第一4章4節―5節)」とイエス様を信じたなら全生涯の罪や過ちは十字架で処理されているので、罪に定められないどころか、称賛が届くという恵みを語っています。今日の聖句は「神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日」と、神がさばかれ日がいつなのか、また、どなたによるものかを語っています。今は恵みの時、救いの日です(コリント人への手紙 第二6章2節)。河井ご夫妻はじめ多くの方々がイエス様によって実現したこの恵みをご自分のものとされるようにとりなして祈ろうではありませんか。