神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。(ヨハネの手紙 第一5章3節)

1.伝道者の書129節―13
2.ヨハネの福音書14章15節ー21節
3.ヨハネの福音書15章7節ー10節
4.ヤコブの手紙1章20節―21節

律法の専門家がイエス様をためそうとして「先生。律法の中で、大切な戒めはどれですか。」と尋ねたところ、イエス様は「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」と答えられました。主はモーセに十戒を与えられましたが、その内容を見てみると最初の4項目は神との関係で、残りの6項目は人間関係に関するものでした(出エジプト記20章の1節―17節)。ですから、イエス様は二つの戒めにまとめられるとともに、戒めを守る秘訣は、愛することであることを指摘されたのでした。ソロモンは神から与えられた知恵をもってこの世のあらゆる分野を探索し、シェバの女王が驚嘆するほどの知恵、豊かさ、栄華の中に生きていましたが、彼は「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)」と、今日の聖句が「神を愛するとは、神の命令を守ることです。」と、この世の富や名声、栄華より、最も大切なのは神を愛することであることを語っています。確かに愛があると、喜んで言われたことをしますし、行うことが喜びとなるように、神を愛していたら詩篇119篇174節が「あなたのみおしえは私の喜びです。」と語っているように、命令は重荷ではなく喜びになるのではないでしょうか。そうは言っても、サタンは神よりも自分を愛するようにさまざまな策略をもって試みてくるので、その声に負かされると、肉の思いに支配され、頭ではわかっていてもみことばに生きられなくて苦しむようなことがありますが、私たちが受けるべき罰を十字架で支払ってくださった上に、私たちの弱さをよくご存じで日々とりなしていてくださるのは主以外におられないことを思い起こしてイエス様を仰ぎ見るなら、ヘブル人への手紙12章2節「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さない。」を実行したことになり、神を愛していることになるのではないでしょうか。主に立ち返りながら、御霊様の助けを得ながら恵みのみことばで歩み続けようではありませんか。