わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章12節)

1.ヨハネの福音書1334節―35
2.ヨハネの福音書15章9節―10節
3.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
4.ヨハネの手紙 第一4章7節―14節

イエス様は弟子たちに「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と仰せられました。イエス様はユダが裏切ることも、ペテロが三度イエス様を知らないということをご存知で、ペテロの信仰がなくならないようにとりなされましたし、弟子たちが「信じます」と言っても「あなたがたは今、信じているのですか。見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。(ヨハネの福音書16章31節―32節)」と、すべてをご存知でありながら弟子たちを最後まで愛し通されただけでなく(口語訳1954年版:ヨハネの福音書13章1節)、よみがえられた後、ご自身の方から弟子たちにご自身を現され、ペテロに「わたしが言った通りだったでしょう。」などとは言わずに「わたしを愛しますか(ギリシャ語のアガパオ:神の愛で、愛しますか)。」と二度尋ねると、ペテロが二度ども「はい、主よ、私があなたを愛することはご存知です(ギリシャ語のフィレオー:友情など人の愛で愛します)」と答えたので、三度目には「あなたはわたしを愛しますか(フィレオー)」と尋ねると、ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛すること(フィレオー)を知っておいでになります。」と、イエス様を愛していてもその愛は神の愛ほど崇高なものではないことを告白したのでした。パウロは神に熱心でしたが、十字架によって明らかにされた神の愛を、神は愛であることを知らずにキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者なったパウロは神の愛は聖霊によってキリスト者の心に与えられていることを知ったのでした(ローマ人への手紙5章5節)。ですから、パウロは「御霊によって歩みなさい。(ガラテヤ人への手紙5章16節)」と勧めています。御霊は私たちの心に語りかけてくださいますが、聖書は神の霊感によるもので神のことばですから、神のことばであるみことばに生きるなら御霊によって歩むことになり、結果として神の愛で互いに愛し合うことできるのではないでしょうか。神の愛は「赦し」でもあります。肉の思いや人を赦せないような感情に支配されて神の愛で愛せないようなとき、私たちの弱さをよくご存知でとりなしていてくださる主に心のうちをすべて申し上げるとともに十字架の恵みを、信仰を完成させてくださるイエス様がともにいてくださることを感謝して生活しようではありませんか。