さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。(詩篇95篇1節―3節)

1.詩篇1001節―5
2.ネヘミヤ記8節―12
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.テサロニケへの手紙 第一5章16節―18節

人は他者と比較して自分にないものが与えられると喜びますが、欲は人の心に満足を与えることができないので、次から次に自分を喜ばせるものを求め続けるような生き方をするのではないでしょうか。ソロモンは神からの知恵をいただいていただけでなく、ソロモンを訪問したシェバの女王が驚嘆したほどの栄華を持っていましたが(列王記 第一10章6節―9節)、ソロモンは神の知恵をもってこの世を探索した結果、人の知恵は悩みや悲しみを与えるものであり(伝道者の書1章18節)、この世が与えることのできる名声や栄華も空しいものであることを悟り「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書1章1節―3節及び12章13節)」と結論づけられました。ソロモンのような知恵、才能、富、名声など、この世が与えることができるすべてを持っておられる方はおられないのではないでしょうか。見えるものにとらわれてしまうと、神がどのような方であるかを忘れて、富や名声を誇る人々をうらやんだり、恐れや思い煩いに支配されて喜びや平安を失ってしまうのではないでしょうか。主がご臨在を現される至聖所に入るための秘訣は、神がどのような方であるかを認め、感謝と賛美をささげることにあることを詩篇100篇は語っています。ネヘミヤ記8章10節には「主を喜ぶことはあなたの力です(口語訳、2017年訳)」とあります。今日の聖句が「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。」と勧めているように、救いの岩、すなわちイエス様がどのような方であるかを思い起こし、救われていることを、この世や人の知恵によって造られた神々を祀っている宗教、科学や医学が決して与えることができない永遠のいのちが与えられていることを喜ぶとともに神の力、神の知恵であるキリスト(コリント人への手紙 第一1章24節)につく者であることを感謝し、主をほめたたえて生活しようではありませんか。