悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章21節)
1.サムエル記第一24章1節―15節
2.詩篇37篇1節―15節
3.マタイの福音書5章43節―47節
4.ローマ人への手紙12章2節及び14節―21節
パウロが「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。(ローマ人への手紙7章18節―20節)」と、語っているように、すべての人は罪をもっているのではないでしょうか。キリスト者になる前のパウロは律法による自分の義に生きていたために神に対して熱心でしたが、キリストを信じる信仰に基づいて神から与えられる神の義を知らずに、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと自分の考えと正義感から激しい怒りをもってキリスト者を迫害していたように、すべての人は罪をもっているにもかかわらず、人は正義の神に似たものとして創造されたので、すべての人は正義感を持っており、悪に対して怒るという感情があるのではないでしょうか。しかし、ヤコブの手紙1章20節―21節は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」と、詩篇37篇7節―8節も「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。」と警告しています。自分の義に生きている時の正義感はかえって感情に支配されて復讐心が起きてしまうような危険性があるのではないでしょうか。今日の聖句は「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」と悪に勝利する道を示していますが、そのためには怒りや憤りから解放される必要があるのではないでしょうか。パウロは「怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ人への手紙4章26節―27節)」と警告しています。サタンの策略は神を考慮しない方向に向かわせます。ヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と語っているように、怒っても主がすべてをご存知であることを思い起こし主の平安をいただいて生活しようではありませんか。