主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのですか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6章8節)

1.出エジプト記3312節―7
2.アモス書514節―24
3.ローマ人への手紙1123節ー122
4.ヤコブの手紙4章1節―10節

「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねた金持ちの青年に、イエス様が「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と言われると、彼がどの戒めですか。」と尋ねたので、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられると、彼は「そのようなことはみな、守っております。 何かまだ欠けているのでしょうか。」と再度尋ねたので、「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と仰せられたのですが、彼は多くの財産を持っていたので悲しい顔をして去って行ったのでした(マタイの福音書19章16節―22節)。彼は自分では隣人を自分自身のように愛していると思っていましたが、彼が愛していたのでは財産であったために主に従うことができなかったのでした。今日の聖句は「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのですか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」と良いことが何であるかを語っていますが、「公義を行い、誠実を愛する」という行為は、「へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」ということばにみられるように、イエス様がパリサイ人に「わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。ただし、十分の一もなおざりにしてはいけません。(ルカの福音書11章42節)」と、仰せられたことばからも神との関係によって成り立つものなのではないでしょうか。イザヤ書53章6節は「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」と、主は罪や咎からだけでなく、自分かってな生き方からも贖ってくださったのでした。へりくだることは、他者と自分を比較して卑下することではなく、神がどんな偉大な方であるかを、神の愛がどれほどのものであるかを思うなら、神とともに歩みたいという願いが起こされるとともに、神とともに歩むことが喜びになるのではないでしょうか。