結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)

1.申命記10章12節ー11章1節
2.マタイの福音書627節―34
3.ルカの福音書1038節―42
4.ヘブル人への手紙714節―26

神を愛していたソロモンに、主が「あなたに何を与えようか。願え。」と尋ねると、ソロモンが「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と答えると、その願いは主のみこころにかなったので、ソロモンは主から知恵の心と判断する心を与えられたのでした(列王記 第一3章3節―12節)。ソロモンは「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。(伝道者の書2章3節)」と、神から与えられた知恵と判断力をもって、「愚かさ」、すなわち神を考慮しない世の人と同じ立場で、「天の下」、すなわちこの世のすべての営みについて探索した結果、神の知恵や知識と違って、人の知恵や知識は悩みや悲しみをもたらすことを(伝道者の書1章18節、ヤコブの手紙3章14節―17節)、「空の空、空の空」と、この世が与えることができるのはむなしさであることを語るとともに、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。」と、神を恐れる、すなわち、神がどんなに偉大な方であるかを知り、みことばに生きることこそ人に一番必要なことであることを語ったのでした。イエス様は弟子たちに「心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネの福音書14章1節)」と仰せられましたし、マルタが主の足もとにすわって、みことばに聞き入ってうたマリアに手伝うようにおっしゃてください、と頼んだマルタに「マルタ、マルタ。あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、ひとつだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。(ルカの福音書10章39節―42節)」と仰せられました。もちろんおもてなしも大切ですが、みことばが語られているときにはみことばに集中することが大切なのではないでしょうか。みことばが語られているのに、他のことを考えたり、人のことが気になったり、あの人に聞かせてあげたかった、というようなことのないように、みことばに生きるために、主は今日、私に何を語ってくださるのだろうか、という期待をもってメッセージをうかがい、主の語りかけに応答して生きようではありませんか。