天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3章1節)

1.ヨハネの福音書213節―22
2.ヨハネの福音書131節―7
3.ヨハネの福音書1612節―33
4.ペテロの手紙 第二 3章3節ー18節

イエス様は弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねると、ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えたので、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と言われてから、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえられなければならないことを弟子たちに示し始めると、ペテロはイエス様を引き寄せて「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」といさめるようなことをしたのでした(マタイの福音書16章15節―2 2節)。イエス様は十二弟子だけを呼ばれて「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。(マタイの福音書20章18節)」と、また「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである(ルカの福音書9章44節―45節)」と、はっきり十字架の刑について、復活について語ったのですが、彼らにはその意味がわからないようにされていたのでした。しかし、イエス様が死からよみがえられたとき、弟子たちはイエス様のことばを思い起こして聖書とイエス様が言われたことばを信じたのでした(ヨハネの福音書2章22節)。みことばだけでなく、日々の生活において理解できないようなことが起こっても、今日の聖句「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」が語っているように、わかる時、わからない時、理解できる事、理解できない事があることを知るとともに、伝道者の書3章11節が「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、語っているように、わからせてくださる時は主が備えておられることを心に留めて、神のご計画に従って召されたキリスト者のためには、すべてのことを働かせて益としてくださる神であることを知る者になろうではありませんか(ローマ人への手紙8章28節)。