主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。(詩篇23篇3節)

1.詩篇71篇15節―24節
2.詩篇85篇1節―7
3.ルカの福音書1511節―24
4.ヨハネの福音書146

イエス様が「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたよりも先に、ガリラヤへ行きます。」と言われると、ペテロが「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と言ったので、イエス様は「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と言われましたが、ペテロが「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と申し上げると弟子たちもみなそう言ったのですが(マタイの福音書26章31節―35節)、イエス様が預言されたとおりのことが起きたのでした。ペテロが三度目に主を知らないと言った時、イエス様が振り向いてペテロを見つめられると、ペテロはイエス様のことばを思い出し、外に出て激しく泣いたように(ルカの福音書22章55節―62節)、私たちは完全ではないので、この世を去るまでの間、何度も後悔するようなことをして、他者を傷つけるだけでなく、自分も傷ついてしまうようなことが多々あるのではないでしょうか。人は過去に戻ることもできないにもかかわらず、過去に戻ってたましいのいやしを得る方法を説いておられた方々がおられましたが、イエス様の「だれでも、手を鋤につけてからうしろを見る者は、神の国にふさわしくない(ルカの福音書9章62節)」、イザヤ書43章18節の「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。」というみことばに反する方法ではないかと思わされます。たましいがなえたり、痛みを覚えたりする時、ヘブル人への手紙12章2節―3節が「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と勧めているように十字架のイエス様を仰ぎ見るとともに、今日の聖句が「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」と語っているように、たましいを生き返らせてくださるだけでなく、義の道に導いてくださる主がいつもともにいてくださることを感謝して生きようではありませんか。