神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(テモテへの手紙 第一2章5節)
1.ヨブ記16章19節―21節
2.ローマ人への手紙8章33節―39節
3.ヘブル人への手紙7章24節―28節
4.ヘブル人への手紙9章1節―15節
神である主はアダムに「善悪の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と警告しましたが、アダムは神の警告をないがしろにして妻の声に聞き従って食べたために人類に死が臨むようになったので、人類を救うために神は御子を人としてこの世にお遣わしになる必要がありました。なぜなら、神は永遠の神であり、不死の方ですから、パウロが「肉によって無力になったために、律法にはできなくなっていることを神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章3節)」と、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)」と、また「罪から来る報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と語っているように、罪の赦しだけでなく、死の解決は、死からのよみがえり、すなわち復活によるものであるために、どうしてもイエス様を人としてお遣わしになる必要があったのではないでしょうか。ペテロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(ペテロの手紙 第一1章3節)」と聖霊に満たされただけでなく、死に勝利するいのちを知って大胆に福音を語る者となったのでした。しかも、主は弟子たちの前で生きたまま昇天され、今は神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです(ローマ人への手紙8章35節)。驚くべきことに、ヨブは「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。(ヨブ記16章19節―21節)」と天を仰がれたのでした。今日の聖句「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」を心に据え、人類に一番必要な大祭司であるイエス様がいつもとりなしていてくださることを感謝して生きようではありませんか(ヘブル人への手紙7章26節)。