主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。(コリント人への手紙第一18節)

1.イザヤ書463節―4
2.エペソ人への手紙13節―6
3.ピリピ人への手紙1章1節ー11節
4.ヘブル人への手紙12章2節―11節

「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と告白しながら鶏が鳴く前に三度イエス様を知らないと言ったペテロが「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷も汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙第一1章18節―21節)」と、ヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように、信仰を与えてくださるのも完成してくださるのもイエス様の働きであることを心に据えて、キリストによって与えられている信仰の世界は主の恵みによってもたらされたものであることを、今日の聖句「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。」を握り、キリストに生きることをキリスト教という名のもとで、人の知恵や「お告げ」と称する世全体を支配している悪しき者である悪魔や悪霊の働きによってもたらされたさまざまな宗教と同等に置いて、自分を見つめて他のキリスト者と自分の信仰を比較するようなことをしないで、今与えられている信仰を、日々主が背負っていてくださる(イザヤ書46章4節)恵みを感謝するとともに救われていることを喜んで生きようではありませんか。