主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもってご自身の民を祝福される。(詩篇29篇11節)

1.使徒の働き1章4節ー8節及2章1節−4節
2.コリント人への手紙 第二 121節―10
3.ピリピ人への手紙412節―13
4.ペテロの手紙 第二 11節―4

主は「いま私たちは、あなたがいっさいのことをこ存じで、だれもあなたのお尋ねする必要がないことがわかりました。これで、私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と告白された弟子たちに「あなたがたは今、信じているのですか。見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。わたしがこれらのことを話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と、彼らの弱さを事前に指摘するとともに、苦悩すること、イエス様が平安を与えてくださえることを話されました(ヨハネの福音書16章30節―33節)。イエス様が「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と仰せられたことについて「これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」とありますが(ヨハネの福音書7章38節ー39節)、御霊は主が弟子たちに約束されたようにペンテコステ(五殉節)の日に下ったことによってイエス様を信じる者には聖霊が与えられることになったのでした。パウロは私たちに与えられたのはこの世の霊ではなく神の御霊であり(コリント人への手紙 第一2章12節)、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。」と御霊について語っています(テモテへの手紙第二1章7節)。いやしを三度願ってもいやされないのは高ぶりから守られることを悟っただけでなく、主から「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたパウロのように、弱さを覚えた時、弱さを嘆いたり、みじめに思うより、今日の聖句「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもってご自身の民を祝福される。」を思い起こし、弱さをよくご存知でとりなしていてくださる主を見上げるとともに、神の力、神の知恵であるキリストに属する者であることを、全生涯の罪が取り除かれ、永遠のいのちが与えられ、すでに祝福されていることを自覚し、主を信頼して生きようではありませんか。