まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。(申命記4章7節)

1.サムエル記 第一11節―20
2.詩篇1458節―19
3.マタイの福音書1818節―20

シドン人の王エテバアルの娘イザベルを妻にし、アシェラ像を造ったり、バアルのために祭壇を築くようなことをしたサマリヤにおいてイスラエルの王となったアハブに「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」と、エリヤが言ったようになりましたが、三年目に主が「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」とエリヤに仰せられたので、彼はアハブに会いに行き「さあ、今、人をやって、カルメル山の私のところに、全イスラエルと、イザベルの食卓につく四百五十人のバアルの預言者と四百人のアシュラの預言者とを集めなさい。」と言ったので、アハブはイスラエルのすべての人に使いをやり、預言者たちをカルメル山に集めたのでした。そこでエリヤは「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え」と尋ねても民が一言も答えなかったので、雄牛を一頭ずつ切り裂いて、たきぎの上に載せてそれぞれの神の名を呼び、火をもって答える神を神とするという提案に民は同意したのでした。バアルの預言者たちが、朝から真昼まで「バアルよ。私たちに答えてください。」と言っても、彼らのならわしに従って剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけて呼ばわっても何の声も答えもなかったのですが、エリヤが「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」と申し上げると、主の火が降って来て全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水も舐め尽くしたので、それを見た民はひれ伏して「主こそ神です。主こそ神です。」と主に立ち返ったのでした(列王記第一18章18節―39節)。ヤコブの手紙5章17節は「エリヤは、私たちと同じようなひとでした。」と語っています。今日の聖句が「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。」と語っているように、私たちの祈りをお聞きくださる偉大な神が内住しておられるがゆえに、キリスト者は偉大な国民とされていることを心に据えてコロナウイルスを終息してくださるように、教会での礼拝が再会されますように、主が宣教の働きを押し進めてくださるように祈ろうではありませんか。