主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。(詩篇111篇10節)

1.詩篇197節―11
2.箴言44節―9
3.コリント人への手紙 第一 118節―25

今日の聖句は「主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。」と語っていますが、それは、ヤコブの手紙3章13節−17節が「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」と語っているように、知恵には二種類あり、その性質とその源に違いがあるからではないでしょうか。ところで、あらゆる邪悪な行いについてガラテヤ人への手紙5章19節―「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」と具体的に語っていますが、それらの世界から贖うためにコリント人への手紙 第一 1章21節―25節が「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」と語っているように、神は御子イエス様をこの世にお遣わしくださり、神の知恵に生きることができるように助け主である聖霊様をお遣わしくださったのでした。さまざまなことに対して神の存在を、神がどんな偉大な方であるかを考慮して物事を判断するなら、良い明晰、すなわち神の知恵を持って明確にはっきりと物事を判断できるように聖霊様が導いてくださるのではないでしょうか。箴言4章7節が「知恵の初めに知恵を得よ」と勧めているように、この世の知恵を優先させるのではなく、神の知恵であるみことばに生きることができるように聖霊を与えてくださった主を誉めたたえようではありませんか。