造られたもので、神の前で隠れ仰せるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明するのです。(ヘブル人への手紙4章13節)

1.列王記 第一 827節―39
2.詩篇1391節―12
3.コリント人への手紙 第二 57節―10

イスラエルの民はエジプトにおいても、強い東風で海を退かせて海を陸地とされ紅海の海水を二つに分けて民が対岸に渡れるようにされただけでなく、後方からエジプト軍が追いつきそうになった時には御使たちをイスラエルの民の後方に移されエジプト軍とイスラエルの民の間に真っ黒な雲の柱をもって夜を迷い込ませて一晩中強い近づくことがないようにされ、民が渡り終えると海をもとの状態に戻され、エジプト人は一人残らず溺死するという奇蹟を体験し、神の御力を見て主を恐れた(畏敬の念を持った)にも関わらず(出エジプト記14章8節―30節)、モーセが山から降りるのに手間取ると民はアロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」と言ったので、アロンは人々に金の耳輪を持って来るように言い、その金で金の子牛を造りそれを神とし、偶像崇拝の罪を犯し、神の怒りを招いたのでした(出エジプト記32章1節―35節)。今日の聖句は「造られたもので、神の前で隠れ仰せるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明するのです。」と語っているように、人を騙せても神を騙すことはできません。ところで、イエス様ご自身が「父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。(ヨハネの福音書5章27節)」と、コリンと人への手紙 第二 5章10節は「キリストのさばきの座」と語っているように、キリストの前で弁明することになりますが、キリスト者は神の子とされているだけでなく、イエス様ご自身が罪に定められないように私たちのためにとりなしていてくださるので、弁明する必要のない恵みの中に生かされていることを感謝し、福音宣教の働きを主が祝福してくださり、自分たちの考えで神々を造って拝んでいる世の人々の心の目を開いてくださり偶像崇拝から離れるように祈ろうではありませんか。