主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。(詩篇112 篇4節)

1.哀歌322節―26
2.マルコの福音書630節―34
3.ヨハネの福音書81節―11

今日の聖句は「主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。」と語っていますが、ではどのように光をやみの中に輝かせてくださるのでしょうか。詩篇119篇104節は「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」と、主のみことばが光であることを語っています。ヤコブの手紙1章20節―22節は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」と、みことばを知っているだけでなく、実行するように勧めていますが、そのためには、「心に植えつけられたみことばをすなおに受け入れなさい」と、みことばが脳に記憶されているだけでなく、心に入っている必要があること、すなわち、みことばに対して「アーメン」と同意して生きる必要があることを示唆しているのではないでしょうか。毎日、コロナウイルス関係の報道だけでなく、どなたかの発言に人々が過剰反応をしてトイレットペーパーがなくなる、という現象が起きていることが報道されましたが、その根底には恐れがあるのではないでしょうか。情け深く、あわれみ深く、正しくあられる主は、人の知恵では取り除くことができない恐れから解放するために、イエス様を信じる者に「アバ、父」と神を呼ぶことができる聖霊を与えてくださいました。イエス様は「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14章26節―27節)」と聖霊の働きについて語られました。それは、ちょうど創世記1章2節―3節が「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた『光があれ。』すると光があった」と語っているように、光をやみの中に輝かす働きは聖霊によるのではないでしょうか。心が騒ぐとき、心を静めて主を見上げて黙想し、聖霊によって思い起こされるみことばに素直に「アーメン」と同意して生きようではありませんか。