すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6章18節)

1.ローマ人への手紙810節―15
2.ローマ人への手紙826節―27
3.エペソ人への手紙1章14節―19節

パウロは興味深いことにすでにイエス様を信じているエペソの聖徒たちのために「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊をあなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものであるか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。(エペソ人への手紙1章17節―19節)」と祈られました。彼は、単なるキリスト者として生きるのではなく、より深く神を知ることができるように御霊が与えられていること、具体的に「キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ人への手紙1章20節ー21節)」と、神の力がどれほど偉大なものであるかを実感できるように語り、主の御名によって祈るキリスト者の祈りがどれほど力のあるものであり、大切であるかをも示唆しているのではないでしょうか。今日の聖句は「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」と勧めています。イエス様は、私たちの父なる神は、私たちがお願いする先に、私たちに必要なものを知っておられることを語ってから、「こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。』(マタイの福音書6章9節)」と、天におられる神は私たちの父であり、神に呼びかけることをまず心に留めて祈ることを教えてくださいました。ところで、ローマ人への手紙8章15節が「私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と語っているように神を父と呼べるのはキリスト者の特権です。祈る時、「目を覚まして祈る」すなわち、私たちは全能であり父である主に向かって祈っていることを、御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって私たちのためにとりなしておられるように(ローマ人への手紙8章26節)、ことばにならないうめきも祈りであることを心に留めるとともに、聖書は御霊によって書かれていますから、みことばの約束をもって、正直に心のうちを主に申し上げる祈りを捧げようではありませんか。