義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)

1.詩篇858節―13
2.ヨハネの福音書14章27節
3.コロサイ人への手紙113節―22

多くの方はまことの神をご存知ないだけでなく、神の敵として生きていることを知らずに他者と自分を比較しながら「自分こそ正しい者」というような思いの中、「自分の義」に生きているのではないでしょうか。しかし、パウロが「しかし私たちが罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしております。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが。彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。(ローマ人への手紙5章8節―10節)」と語っているように、すべての人は罪を犯しているために、神の怒りの対象となっていたのですが(エペソ人への手紙2章3節)、イエス・キリストによって神との関係が修復され、神の怒りだけでなく、神の子とされる特権が与えられ(ヨハネの福音書1章12節)、神との平和がもたらされたのでした。イエス様は「なだめの供え物」として神の義を明確に示された方であることから、今日の聖句「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」はイエス・キリストの働きを語っていることになります。イエス様は永遠の神であり、罪人を救うためにご自身を捧げられただけでなく、今は死からよみがえられ父の右の座について、キリスト者が罪に定められないようにとりなして祈っていてくださる方であることを思うとき、心が穏やかになり、主を信頼して生きようと思う志が与えられるのではないでしょうか。神との平和を与えてくださった信仰の完成者であるイエス様を見上げて生きようではありませんか。