私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい。(テモテへの手紙 第二 2章8節)

1.ピリピ人への手紙26節―8
2.ヘブル人への手紙57節―10
3.ヘブル人への手紙12章2節―4節

「喜怒哀楽」ということばが象徴するように、一生の間にさまざまなことを体験しますが、ヤコブは「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。(ヤコブの手紙5章13節―16節)」と、勧めていますが、そのためにはパウロが「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。(エペソ人への手紙1章17節―19節)」と、祈られたように、神がどのような方であるか、キリスト者に与えられている特権を知る必要があるのではないでしょうか。今日の聖句が「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい。」と勧めているように、神でありながら多くの苦しみを受け、罪人を救うためにご自身をささげられ、殺されましたが、人の知恵や力では解決できない「死」に勝利され、キリスト者が罪に定められないようにとりなして祈っていてくださるだけでなく、永遠のいのちを与えてくださったイエス様がどんな時にも、いつもともにおられることを心に据えて生きようではありませんか。