ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。(詩篇72篇18節―19節)

1.出エジプト記816節―19
2.ローマ人への手紙1133節―26
3.コリント人への手紙 第二 36節―18

エジプトで苦悩しているイスラエルの民をエジプトから導き出すためにモーセを用いてさまざまな奇蹟を行うと、パロは呪術者や呪法師を呼び寄せたので彼らは秘術を使って、神がモーセによって行われたのと同じ奇蹟を行いましたが、主がモーセに「アロンに言え。あなたの杖を差し伸ばして、地のちりを打て。そうすれば、それはエジプトの全土で、ぶよとなろう。」と仰せられたので、アロンがそのように行うと、地のちりはみなエジプト全土でぶよとなって、人や獣についたのですが、呪法師たちも秘術を使ってぶよを出そうとしましたが、できなかったので、彼らはパロに「これは神の指です。」と申し上げたように、世全体を支配しているサタンは人が創造される前にすでに神によって創造された御使いであり、神が人を用いるように、サタンは呪法師や呪術者のように人を使ってある程度の奇蹟を行うことができますが、そこには限界があることを語っています。サタンは「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂きに上り、いと高き方のようになろう。」と、被造物でありながら創造者なる神と同等に自分を置こうと高ぶって天から地に落とされただけでなく、すでに有罪判決が下され、二度と天に戻ることができない者であり、「神のようになる」とエバに語りかけて自分と同じ罪を犯すように仕向けエバもアダムも罪を犯し死を招くことになりましたが、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、サタンも人も解決できない罪からの贖いと復活をもって栄光を現され、死に勝利するいのちを明らかにされたのでした。今日の聖句が「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。」と願っているように、この栄光に満ちた福音を人々に紹介しようではありませんか(ペテロの手紙 第一 1章9節)。