信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル人への手紙12章2節)

1.ローマ人への手紙828節―34
2.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
3.コロサイ人への手紙220節―33
4.ペテロの手紙 第一 1章18節―21節

イエス様がご自身を「いのちのパン」と仰せられ「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」と話されると、その真意をイエス様に問う事なく、弟子たちのうちの多くのものが離れ去って行ったので、イエス様が十二弟子に「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」と問うと、「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」と告白したペテロにイエス様は「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せられたましたが、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言ったのでが、イエス様が「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたようにペテロは行動したのでした。彼はイエス様のことばを思い出し、激しく泣き挫折しましたが、復活の主にお会いしたペテロは「キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにしてあなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙 第一 121節)」と、信仰の真髄を語ったのでした。信仰を宗教心と混同してしまうと、信仰の成長も自分次第のように考えてしまいがちになるのではないでしょうか。パウロも「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です(コリント人への手紙 第一 36節)」と働き人ではなく神に目をとめることの大切さを語っています。今日の聖句が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル人への手紙122節)」と勧めているように、各自の信仰を完成してくださるのはイエス様であり、私たちが罪に定められないように神の御座の右に座してとりなしていてくださっていることを感謝し、パウロが「私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。(ピリピ人への手紙316節)」と勧めているように、与えられている信仰もその背後に主の祈りと働きがあること、信仰を完成してくださる主にやがてお会いできる事を喜び、他のキリスト者と自分を比較して生きるようなことをしないようにしようではありませんか。