みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。(箴言16章20節)

1.詩篇341節―6
2.箴言33節―6
3.使徒の働き2017-32

創世記1章1節―3節に「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。」とあり、それ以降、天地万物は主のことばによって創造されたことを、そして創世記2章16節―17節にはアダムに善悪の知識の木から取って食べないように警告したように、神である主は人に語りかけることが、そして主がアダムの助け手としてエバを造られてアダムのところに連れてくると「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女(イシュ)と名づけよう。これは男(イシャ)から取られたのだから。」と語った人のことばがあり、創世記3章になると蛇に化身した悪魔とも呼ばれるサタンとエバの会話や主とアダム、主とエバとの会話が書かれています。ですから、神のことば、人のことば、この世を支配している悪魔のささやくことばが飛び交う中で人は幸いな人生を求めて生きているのではないでしょうか。今日の聖句は「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」と、人が求めている幸いな人生を得る秘訣を語っています。イエス様は「わたしは彼らにみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。(ヨハネの福音書17章14節)」と、祈られました。この世や人の知恵では答えを得ることができない神に関することについて、この世がどのようになるかという将来について、人が必要としている情報をみことばすべて与えてくださいます。なぜなら、みことは真理であり、永遠の神のことばであり、神がどのような方であるかを、神の愛と恵みがどのようなものであるかをはっきり示してくださっているからです。すべてのキリスト者はキリストの大使としてこの世に遣わされていることを自覚し、人やこの世の知恵に惑わされて心が汚されないように、恵みとまことに満ちておられる主に拠り頼む、すなわち、自分の考えや思いではなく、主は私たちの頭では理解できないほど偉大な神であることを認めるとともに、どんな状況下にあっても主がともにおられること、どんなことも益としてくださる主を信頼し、純粋なみことばで生きることこそ幸いなことであることを心に留めて、人々の心の目が開かれ、この世が与えることのできない幸いを知ることができるように祈ろうではありませんか。