神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章16節)
1.ヨハネの福音書6章38節―40節
2.ヨハネの福音書10章7節―10節
3.ローマ人への手紙6章17節―23節
イエス様は「わたしはもう世にはいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとに参ります。聖なる父、あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同じ様に、彼らが一つとなるためです。わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは聖書が成就するためです。(ヨハネの福音書17章11節―12節)」と、イエス様を銀貨30枚で引き渡したイスカリオテのユダだけが滅びたことを語っています。ユダは他の11人の弟子たちと一緒にイエス様と寝食を共にしていましたが、悪魔はイスカリオテ・ユダにイエス様を売ろうとする思いを入れていましたので、「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください」と言ったペテロに「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」とユダはきよくないことを(ヨハネの福音書13章2節及び9節―10節)、ユダがイエス様のことを信じていないだけでなく裏切ることをご存知でユダのことを「悪魔」と仰せられたのです(ヨハネの福音書6章64節及び70節)。ところで、今日の聖句は「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と神が御子イエス様をこの世にお遣わしになられた目的と、イエス様を信じた者に対する保証が語られています。キリスト者でもダビデのように自分の思いで生きてしまうことがありますが、そのような時「救われていないのではないか」というような懐疑心を与える力に勝利するために、今日のみことばを心にしっかり刻み込み、罪に定められないように父なる神の右に座してとりなしていてくださる恵みとまことに満ちておられる主を仰ぎ見て、救いはゆるがないものであることを喜んで生きようではありませんか。