主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。(詩篇11篇7節)

1.詩篇331節―5
2.ヘブル人への手紙122節―3
3.黙示録221 節―4

アダムは神から「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ(創世記2章16節―17節)」と警告を受けていたにもかかわらず、「あなたがたは決して死にません。」と神の警告と全く反対のことを言った悪魔の偽りのことばを信じて食べてしまった妻エバの声に聞き従って食べて罪を犯したことによって、神である主の声を聞くと、彼らは主の御顔を避けて園の木の間に身を隠したのでした。カインも自分と自分のささげ物に主がなぜ目を留められなかったのかを主に尋ねずにひどく怒り、顔を伏せたのでした。主は自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食をし、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くされる者は高くされるからです。(ルカの福音書18章9節―14節)」と、たとえ話をもって、自分の罪を素直に認めた人を神は義と認めてくださることを話されました。イエス様を信じた者はもはや罪人ではなく神の子とされているのですから、主を信頼し、心のうちを正直に主に申し下げて、ヘブル人への手紙12章2節が「ヘブル人への手紙12章2節は「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように、また今日の聖句が「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。」と語っているように、顔を伏せて歩く者ではなく、正義を愛され、私たちのためにとりなして祈っていてくださる恵みとまことに満ちておられる主を仰ぎ見て生きる特権が与えられていることを、救われていることを感謝し、喜びの声をもって主をほめたたえて生きようではありませんか(詩篇32篇10節―11節)。