神に請願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことを果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。(伝道者の書5章4節―5節)
1.マタイの福音書5章33節―36節
2.ルカの福音書1章67節―79節
3.ヤコブの手紙5章12節
人はその時の気分や成り行きで、さまざまなことを誓ってしまい、時が経過する中で、誓ったことを忘れてしまうようなことが多々あるのではないでしょうか。特に政治家は選挙に当選するために、人の歓心をかうような公約を掲げますが、反対する勢力の方が強いとなかなか公約を果たすことができないような状況が繰り返しなされてきたのではないでしょうか。ヤコブの手紙5章12節は「兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、『はい』を『はい』、『いいえ』を『いいえ』としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。」と、誓わない方がよい理由を考えると、アメリカの大統領が単なる宣誓でなく、聖書に手をおいて誓う様子が放映されるとき、アメリカの霊的状態に影響を与えている可能性があるのではないかな、と思ってしまいます。人は神ではないので、誓ったことが実行できるかどうかの保証はないのではないでしょうか。ですから、今日の聖句は「神に請願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことを果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。」と勧めています。ところでヘブル人への手紙4章15節―16節は「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」と語っていますが、キリスト者も気をつけないと「恵みの座」が、ざんげと誓いの場になってしまう危険性があるのではないでしょうか。恵みの座ですから、過去の失敗にとらわれて自分を責めたりするようなことをせず、そのために十字架があることを、ペテロの信仰がなくならないように祈られたように、主は私たちが失敗する前にすでにとりなしてくださっていることを認め、主の恵みの中に生き続けようではありませんか。