彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」(詩篇34篇5節)
1.出エジプト記34章28節―35節
2.詩篇36篇1節―9節
3.イザヤ書55章1節―5節
4.ローマ人への手紙8章28節ー30節
イエス様が「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかも、もし死ねば、豊かな実を結びます。」とご自分を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と願うと、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と仰せられたように(ヨハネの福音書12章23節―24節及び27節―28節)、神はイエス様を死からよみがえらせて栄光をあらわされたのでした(ヨハネの福音書17章1節―5節)。世の多くの人々は輝きたいと願って、輝ける場所や仕事を探し求めて生きているのではないでしょうか。先日ノーベル賞の受賞者が発表され、功績を認められて受賞された方々は輝かしい存在でありますが、それは一時的なものであり永続するものではありませんが、イエス様が「あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。(ヨハネの福音書17章22節)」と、仰せられたように、すべてのキリスト者には主の栄光、永遠の栄光が与えられているのです。パウロは「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙10章13節)」と、キリスト者も世の人々と同じように試練に会いますが、そのような時、ペテロの手紙 第一 5章7節―10節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔がほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟せある人々は同じ苦しみを遠って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」を思い起こし、問題や自分から目を離して私たちのことを心にかけていてくださる主を仰ぎ見るなら、今日の聖句が「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。『彼らの顔をはずかしめないでください』」と語っているように、私たちの顔をはずかしめないどころか、私たちが自覚していなくてもすべてのことを働かせて益としてくださる主がご自身の栄光を与えて(ローマ人への手紙8章28節ー30節)輝かせてくださるのではないでしょうか。いつでも、どんな時にもともにいてくださる主を忘れずに主を仰ぎ見て生きようではありませんか。