私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。(ペテロの手紙 第二 3章18節 2017年版)

1.コリント人への手紙 第一 15310
2.コロサイ人への手紙1310
3.テモテへの手紙 第一 1章8節—17節

パリサイ人として生きていたときには恵みによる救いがわからず教会を迫害していましたが、キリスト者となったパウロは「私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのです。」と、また「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び続けています。(コロサイ人への手紙1章8節)」と、恵みを知る者となり、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」と勧める人になったのです。パウロが「兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」と福音を伝えると、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるように頼んだので、パウロとバルナバは彼らについて来たユダヤ人や神を敬う改宗者に神の恵みにとどまるように説得したのでした(使徒の働き13章38節—39節及び43節)。ところで、ヘブル人への手紙4章15節—16節は「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折りにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めていますが、「恵みの座」をどのように把握しているかによって信仰生活の在り方に違いが出てくるのではないでしょうか。「恵みの座」で罪や失敗した事を主に申し上げるのは大切ですが、罪や失敗を告白したその後で、パウロは「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」と勧めているのですが、さまざまなことを神に誓うようなことをしてしまうのではないでしょうか。ローマ人への手紙5章20節「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。」を思い起こし、告白した罪や失敗はすでに主がとりなしていてくださるだけでなく、すでに十字架で支払われていることを思い起こして感謝し、主の恵みの深さを知る者として成長させていただこうではありませんか。