私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙 第二 2章8節)
1.ピリピ人への手紙2章6節―11節
2.ヘブル人への手紙4章14節―16節
3.ペテロの手紙 第一1章3節―7節
イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねると、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えましたが、イエス様が、ご自分はエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められると、ペテロはイエス様を引き寄せて「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」といさめたので、イエス様は振り向いて、ペテロに「下がれ、サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と(マタイの福音書16章15節―16節及び21節―23節)、また「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」申し上げたペテロに「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言されただけでなく、「シモン、シモン。あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と事前に語られたのですが(ルカの福音書22章31節―34節)、ペテロが立ち直ったのは、聖霊に満たされただけでなく、イエス様が死からよみがえられたことによって、生ける望みを持つことができた事によるものでした(ペテロの手紙 第一1章3節)。サタンはキリスト者に触れることはできませんが、火矢を射って来て、心が神よりも人に向くように仕向けて来るので、ヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないように」と勧めているにも関わらず、イエス様以外のものに心が向いて、心を騒がせて思い悩んだり、恐れたり、肉の思いに支配されて不信仰に陥ってしまうことがありますが、そのようなとき、今日の聖句が「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」と勧めているように、大祭司であるイエス様は、私たちの弱さをよくご存知でとりなして祈っておられることを、永遠のいのちが与えられているのは十字架の死にまで従順に従われたイエス様のおかげであることを思い起こして、ダビデが「私はいつも、私の前に主を置いた。(詩篇16篇8節)」と語っているように、日々、いつも主イエス・キリストを仰ぎ見て、主を喜んで生きるようにしようではありませんか。