十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(コリント人への手紙 第一 1章18節)
1.イザヤ書53章1節―12節
2.ルカの福音書23章33節―46節
3.ヨハネの福音書19章23節―30節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
イエス様は神がどのような方であるかを説き明かされ(ヨハネの福音書1章18節)、御国の福音を宣べ伝えられただけでなく、罪人を救うために人としてこの世に遣わされ、ご自身をささげられたのですが、イエス様とともに十字架につけられた犯罪人のひとりが「イエスさま、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と犯罪人に希望を与えられてから、「完了した。(ヨハネの福音書19章30節)」と、そして「父よ。わが霊を御手にゆだねます。(ルカの福音書23章46節)」と言われて息を引き取られたのですが、三日目に死からよみがえられ死に勝利するいのちをお示しくださり、生ける道を設けてくださったのです(ヘブル人への手紙10章20節)。イエス様は昇天される前に弟子たちに「わたしがあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは全部成就するということでした。」と仰せられてから聖書を悟らせるために弟子たちの心を開いて「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国々の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章44節―49節)」と約束されたのでした。その約束は五旬節(ペンテコステ)の日に聖霊が下って成就しました。聖霊の力に満たされたペテロは他の使徒たちと立って、十字架と復活のメッセージを大胆に語ったのでした。それを聞いた者のうち3000人が救われ教会が生まれたのです。今日の聖句が「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」と語っているように、十字架以外に罪の赦しを与える力も、神との和解を得させ力もありません。私たちは間違いをしたり、失敗したりすると、なさけなく思い自分に失望したり、自分をさばいたりしてしまいがちですが、そんな時ヘブル人への手紙4章15節―16節が「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と、パウロが「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と語っているように、全生涯の罪や人から非難されるような失敗は、すでに十字架で支払われているというイエス様によって実現した恵みを思い起こして「そうだイエス様がおられる」と告白すると、不思議に立ち上がることができる神の力が与えられ、元気になるのではないでしょうか。十字架によって実現した恵みを日々感謝しながら、恵みとまことに満ちておられる主がとりなしていてくださることを心に留めて、恵みの上にさらに恵みを受けて生きようではありませんか(ヨハネの福音書1章16節―17節)。