どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。(テサロニケへの手紙 第二 3章5節)

1.ローマ人への手紙425節―55
2.ローマ人への手紙154節―6
3.ヘブル人への手紙122節―3

人はとかく思考を変えれば人生は変わると考えがちですが、イエス様のことを考慮しない可能性思考や肯定的思考は、思考を変えられる人はその原理が当てはまるでしょうが、思考を変えられない人にとっては何の助けにもならないだけでなく、自分の力のなさに悩んで鬱(うつ)になってしまう可能性があるのではないでしょうか。聖書は思考を変えるよりも、心が変えられる必要があることを語っていますが、エレミヤ書17章9節は「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれがそれを知ることができよう。」と、人の力では不可能なことを語っています。しかし、エゼキエル書36章25節―27節は「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」と、人の心を変えてくださるのは神の働きであり、みことばに生きることができるように聖霊を与えてくださることを約束しています。ヘブル人への手紙10章36節は「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」と忍耐の必要性を語っています。ところで、ヘブル人への手紙5章7節に「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」とある一方ヘブル人への手紙12章2節が「イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせず十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」と語っているように、キリストの忍耐は苦しみの中にも神の約束は神の時に成就するという希望と喜びを生むのではないでしょうか(ローマ人への手紙5章2節―5節)。思い悩んだり、恐れたり、心が平安を失っているような時、パウロの「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」という祈りを思い起こし、信仰を完成させてくださるだけでなく、神の愛とキリストの忍耐を与えてくださる主に心を導いていただいき、主は真実な方で私たちを強くし、悪い者から守ってくださることを(テサロニケへの手紙 第二 3章3節)、祈りを聞いてくださることを喜んで生きようではありませんか。