主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくださって、あなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6章8節)
1.申命記10章10節―13節
2.詩篇37篇23節―31節
3.マタイの福音書19章16節―22節
4.エペソ人への手紙2章1節―10節
人には良心が与えられているので、良い行いをしようとする気持ちがすべての人の心にあるのではないでしょうか。ですから、自然災害に見舞われて苦しんでいる人々を助けようと多くの方が手弁当でボランテイア活動をされますが、その活動も神の愛が根底にないと、最初は、純粋な心で始めても、時の経つうちに、「良いことした」というような達成感や人からの栄誉を求めるようなものに変わってしまう弱さを人は抱えているのではないでしょうか。イエス様は「真の礼拝者たちがは霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネの福音書4章23節))」と言われました。礼拝者であることを忘れると、奉仕が目的となり、世の人々と同じように自己満足や人からの栄誉を求めて奉仕する可能性があるのではないでしょうか。パウロは「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか、また、だれが、まず主に与えて報いをうけるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙11章33節―12章2節」と、語っていますが、その答えは今日の聖句「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくださって、あなたの神とともに歩むことではないか。」にあるのではないでしょうか。パウロは「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださっています。」と語っています。良い行いを探すのではなく、イエス様が「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」と仰せられたように、主とともに歩むなら、聖霊は主が備えてくださっている良い行いを教えてくださるのではないでしょうか。