あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(ペテロの手紙 第一 5章7節)

1.歴代誌 第二 201節―26
2.マタイの福音書619節―33
3.ピリピ人への手紙46節―7

自然災害のみならず、かつてないほどのさまざまな犯罪が起こっている現代社会は、人々に平安を与えるよりも、不安や恐れ、思い煩いや怒りを与えているのではないでしょうか。15歳の時から登校拒否をして議会前に座り込んで抗議活動を始め、先日23日にニューヨークの国連本部で演説をされた16歳のグレタさんは大切なことも語っていましたが、「私たちはあなたたちを絶対にゆるさない。」と話された時の表情には怒りと憎しみしかないように思いました。彼女のことばや表情から、将来に対する不安や恐れがとてつもなく大きく、彼女を支配していることがわかります。ところで、今日の聖句は「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」と、抱えているすべての思い煩いを神に委ねる、すなわち、神に明け渡すことを勧めています。ところで、「委ねる」という行為は、委ねる相手がどのような人なのかを知らなくてはできない行為であるように、神がどのような方であるかを知らないと、いっさいを神に委ねることは難しいのではないでしょうか。私たちは思い煩っていることを祈りますが、祈った後で、それを主に委ねる、すなわち、手放したり明け渡したりせず握りしめたままでいると、思い煩いが心から離れないのではないでしょうか。主はペテロに「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。(ルカの福音書22章32節)」と、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と申し上げる前に仰せられていました。そして、ペテロのことばに対して「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らない。」と預言されたのです。そして、実際そのようになったのでした。神は私たちのことを私たち以上によくご存知です。しかも、エペソ人への手紙1章3節―4節は「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」と、私たちが母の胎に宿る前から私たちを、そして私たちの全生涯をご存知な方であり、私たちのためにとりなして祈っていてくださるのです。思い煩うような時、キリストに生きているか自分に生きているかを知らされるのではないでしょうか。主を信頼して思い煩いを主に委ねる、すなわち明け渡して思い煩いの代わりに主の平安をいただいて生きようではありませんか。