恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ書41章10節)
1.申命記20章1節―4節
2.ヨシュア記1章1節―9節
3.ローマ人への手紙8章27節―34節
アダムとエバが神の警告よりも偽りの父である悪魔のことばを信じて、神が食べることを禁じた善悪の知識の木から取って食べたことによって自分たちが裸であるのを知り、主の声を聞くと神である主の御顔を避け、園の木の間に隠れたのですが、隠れた理由を「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました」と主に申し上げたアダムのことばから、人類に恐れが入ったのは、罪を犯したことに端を発していること、その背後に悪魔の働きかけがあったことがわかります。ところで、ローマ人への手紙8章15節―16節は「あなたがたは人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」と、イエス様を信じて助け主である御霊を受ける以外に恐れから解放される道はないことを語っています。聖書は「神を恐れる」ことを奨励しますが、そのような場合の恐れは、恐怖の意味ではなく「畏れ」、すなわち人には理解できないほど偉大な方であることを認め、身をつつしんで敬うことを意味しています。ヨハネの手紙 第一 4章10節が「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」と同章18節が「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」と語っているように、神は人類を罪とそれに伴う刑罰だけでなく、恐れをも取り除くために御子イエス様をお遣わしくださったのです。恐れやたじろぐ、すなわち動揺するようなとき、今日の聖句が「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」と語っているように、私たちが信じている神は、どんな状況の中にあっても常にともにいてくださり、私たちを強めることも、助けることも、守ることもできる方であることを思い起こして生きようではありませんか。