寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。(箴言14章31節)

1.マタイの福音書619節―24
2.ルカの福音書1613節―31
3.ヤコブの手紙21節―13

香港でのデモの様子を見ながら、中国においては共産党員と一般市民の待遇には大きな落差があることを思うとともに、北朝鮮などは家族同士が国家に叛逆を企てないかどうかをお互いに見張るようなシステムがあるだけでなく、ヒョンヤン以外の地域では子供達が地面落ちている米粒を拾って食べている様子など、一般市民が極貧の中に置かれていることがかつて報道され北朝鮮にしても中国にしても、また独裁国においても貧富の差が激しい原因を、今日の聖句「寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。」に見ることがでいるのではないでしょうか。人々が、あわれみに富んだ神、恵みとまことに満ちておられるイエス様の存在を知っているどうかによって地上での生き方が変わってしまうだけでなく、死後の世界にも違いが出てきてしまいます。イエス様は人々に「どんな貪欲にも注意してよく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と語られてから金持ちのたとえを話されました。畑が豊作になった金持ちは心の中で「どうしよう。作物をたくわえておく橋がない。」と、考えたすえに「こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』」と言いましたが、「しかし、神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神の前に富まない者はこのとおりです。(ルカの福音書12章15節―21節)」と仰せられました。彼が神を知っていたなら、豊作になったのも神の恵みであることを感謝し、寄るべのない人や貧しい人々に分けて差し上げたのではないでしょうか。貧しさは目に見えるものだけでなく、心の貧しさもあります。イエス様を信じておられないすべての人は心の貧しい者ではないでしょうか。永遠のいのちを与えてくださるイエス様を人々が信じることができるように祈るとともに、真実で恵みとまことに満ちておられるイエス様を人々に紹介しようではありませんか。