すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙 第一5章18節)

1.ローマ人への手紙818節―28
2.コリント人への手紙 第一1550節―57
3.コロサイ人への手紙3章15節―17節

世の人々でも「感謝」を口にすることがありますが、自分にとって益となるようなことや親切にしてくださる方などに対するもので、条件付きではないでしょうか。特に、ローマ人への手紙1章20節―23節が「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしましました。」と、語っているように、多くの人は、人を創造された神を認めず、感謝もせず、かえって自分たちの考えで神々を造ってそれを拝んで満足し、神が喜ばれない生き方をしているのではないでしょうか。一方、今日の聖句は「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と、キリスト者はすべての事について感謝して生きることを勧めています。そのためには神がどのような方であるかを心にしっかり留めることが大切なのではないでしょうか。神は悪魔が誘惑することも、エバとアダムが罪を犯すこともご存知であったはずなのに、なぜ人を創造されたのか、と思い悩んだとき、ふと、エバとアダムが罪を犯さなかった場合と罪を犯したためにどのようなことが起きたかを思わされました。神は罪人を救うために御子イエス様をお遣わしになり、十字架において罪の赦しを与え、イエス様を信じる者には神の子としての特権をも与えられましたが、もしエバとアダムが罪を犯さなかったなら、イエス様が御降誕される必要も、十字架も必要なかっただけでなく、神の子とされることもなかったことに気づかされ、神の計り知れない偉大さと恵みの深さを思わされました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」と語っているパウロのように、情が何を言おうと、私たちの神はすべてのことを益としてくださる神であり、イエス様がとりなしていてくださることを、どんな出来事にも目的とご計画を神がお持ちであることを心に留め、神が願っているように、すべてのことを感謝して生きようではありませんか。