聖書箇所
まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。(詩篇107篇9節)
<関連聖句>
1.ヨハネの福音書6章32節―35節
2.ピリピ人への手紙4章10節―12節
3.テモテへの手紙 第一6章2節―11節
<メッセージ>
人はとかくこの世のもので心を満たそうとするのではないでしょうか。ソロモンは「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい、楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。(伝道者の書2章1節―3節)」と、詩篇14篇1節が「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。」と言っているように、神から与えられた知恵を用いて「愚かになって」、すなわち創造者なる神を認めないこの世の人々と同じ立場で、「天の下」、すなわちこの世のすべての分野を探索しましたが、「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」と、この世が与えることができるのは空しさしかないことを結論づけるとともに、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節―14節)」と人が生きるべき道を示されました。パウロは「満ち足りた心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙 第一6章6節)」と言われましたが、その秘訣は今日の聖句が「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」と語っているように神との関係にあることがわかります。イエス様は、神を愛し、隣人を愛するように仰せられましたが、パウロは「終わりの日には困難な時代がやって来ることを承知しておきなさい。」と言ってから、その時には「自分を愛する者」「金を愛する者」「神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になる」と、キリスト者であっても、この世の価値観や生き方に調子を合わせてしまうと、天国行きの切符は持っていても見掛け倒しのキリスト者になってしまい満ち足りた心を失ってしまうのではないでしょうか。心の飢え渇きを覚えるとき、それは飢え渇きを満たすことができる主(ヨハネの福音書6章35節)に立ち返るように聖霊様が働かれているのではないでしょうか。十字架で神の愛を示された主、どんな時でもいつもともにいてくださる主を忘れずに生きようではありませんか。