聖書箇所

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)

<関連聖句>

1.ローマ人への手紙21229
2.ローマ人への手紙71583
3.コリント人への手紙 第一445
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節

<メッセージ>

パウロが「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行いをする場合、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。(ローマ人への手紙2章14節—15節)」と、語っているように、だれでも一生の間、良心のとがめを一度も受けることなく死を迎える人はいません。しかも、神は人の心に永遠(口語訳:永遠を思う思い)を与えられているので(伝道者の書3章11節)、肉体の死がすべてを終わらせるのではなく、死後にさばきを受けることが定められていることを(ヘブル人への手紙9章27節)、人は無意識のうちに知っているのではないでしょうか。そのために、人は死を恐れるのではないでしょうか。ところで、今日の聖句は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことなく、死からいのちに移っているのです。」と、神のさばきや死の恐怖からだけでなく、死そのものから解放される道を語っています。ですから、パウロは「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判定を受けることは、非常に小さいことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえできません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中にはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙 第一4章3節—5節)」と語っています。キリスト者の全生涯の罪は十字架で支払われているだけでなく、死からよみがえられたイエス様が神の右の座に着いてキリスト者のためにとりなしておられるので(ローマ人への手紙8章34節)、罪に定められることがなく、永遠のいのちに生きる者とされているのです。今日の聖句を心に留め、神のさばきから、死から救われていることを感謝して生きようではありませんか。