聖書箇所

私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。(詩篇119篇125節)

<関連聖句>

1.詩篇11933節―37
2.箴言35節―6
3.コリント人への手紙 第一 2章1節ー16節
4.エペソ人への手紙15節―17

<メッセージ>

イエス様が「わたしはいのちのパンです。あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と言われると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」と言って互いに議論し合い、イエス様がさらに「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。・・・」と話されると、弟子たちのうちの多くの者は「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられるようか。」と、言って多くの者が離れ去って行ったのですが、イエス様が「まさか、あなたがたも離れたいとおもうのではないでしょう。」と十二弟子に言われると、ペテロは「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」と答えたのでした(ヨハネの福音書6章48節―69節)。イエス様はよくたとえをもって話されました。たとえの意味がわからないと、ペテロたちはイエス様にどういう意味なのかを尋ねましたが、イエス様から離れていった弟子たちはイエス様にその意味を尋ねることなく議論をし合い、自分の考えで行動したのでした。イエス様は「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしたちがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14章26節)」と仰せられました。さまざまな出来事に対してパニック状態に陥ったり、自分の考えで判断して無理な解釈をしたりせず、御霊が与えられているのですから、自分の考えや感情にまかせて物事を判断せず、心を鎮めて今日の聖句が「私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。」と語っているように、主に尋ね求めようではありませんか。御霊はみことばを思い起こさせてくださったり、礼拝で語られたメッセージを思い起こさせてくださり、物事を悟らせてくださるのではないでしょうか。