聖書箇所

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイの福音書5章9節)

<関連聖句>

1.イザヤ書26章7節―12節
2.イザヤ書32章16節―18節
3.詩篇85篇8節―13節
4.ヨハネの福音書1章9節ー13節

<メッセージ>

この世には、平和を求めている人々がいる一方で、スリランカでの悲惨な状況に見られるように、イスラム過激派の教えに洗脳され、殺人や破壊を目的とした自爆テロを行う人々や欲に支配されて争いを起こす人々が混在しているので、いまだに世界は世界平和を見ることができないのではないでしょうか。ところで、暮れにはその年、平和のために労された方々にノーベル平和賞が贈られますが、イザヤ書32章17節が「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」と、義が平和をつくることができることを語っていますが、その義は、パウロがパリサイ人として律法による義に生きていた時には自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたように、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰に基づいて神から与えられる義でないと平和をつくることができないことをパウロの生涯に見ることができます。ですから、今日の聖句は「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」と語っているのではないでしょうか。キリスト者も世と調子を合わせて生きてしまうと世の人々と同じように「自分こそ正しい」、すなわち自分の義、さまざまな欲、に支配され、神の子とされているにもかかわらず神に対して反抗し(ヤコブの手紙4章1節―4節)、神との関係においても人間関係においても平和をつくることができなくなってしまうのではないでしょうか。神の子とされている立場を心に留めて、パウロが「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と勧めているように、怒るようなことがあっても、平和の君であるイエス様はすべてご存知であることを心に留め、ピリピ人への手紙4章6節―7節が「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と勧めているように、心のうちをすべて主に申し上げ、全生涯の罪が十字架で支払われている恵みを覚え、人々のためにとりなして祈るなら、主が人間関係の中に働かれて平和をつくってくださるのではないでしょうか。平和をつくることができる神の子とされていることを感謝して生きようではありませんか。