詩篇139篇1節

主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。

<関連聖句>

1.ルカの福音書22章31節―34節
2.ヨハネの福音書16章19節―32節
3.ヨハネの福音書21章4節―19節

<メッセージ>

イエス様は人の光であることをヨハネの福音書1章4節は語っています。ですから、人の光であるイエス様を持っていないと光のない人生を歩んでいるために、人はとかく自分のことは自分が一番よく知っていると思って生きてしまいがちになるのではないでしょうか。ですから、自分の義に生き、自分にとって何が益となるのかを自分で探しながら生きているのではないでしょうか。

パウロもキリスト者になる前は自分の考えでキリスト者を迫害していましたが、キリスト者になった彼は心に光がともったので、自分の中に悪があることを、罪があることを認識して「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるでしょうか。」と悩みましたが、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と、キリストに答えを見出したのです(ローマ人への手紙7章19節―8章2節)。

今日の聖句「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。」は、ダビデをのろっているシムイの首をはねさせてください、と言ったアビシャイと家来たちに「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせをむくいてくさるだろう。」と言ったダビデのことばです(サムエル記 第二 16章3節―12節)。結局シムイはダビデに自分がしたことを赦してくださるように哀願したのでした(サムエル記第二19章16節―20節)。

イザヤ書63章8節―9節は「主は仰せられた。『まことに彼らはわたしの民。偽りのない子たちだ。』と。こうして、主は彼らの救い主になられた。彼らが苦しむとき、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」と、語っています。黒人霊歌に「だれも私の問題を知らない。しかしイエスさまはご存知です。主に栄光。ハレルヤ」と、奴隷として売られこの世では虐げられ自由のない生活の中で、イエスさまのことを心に留めて主に栄光を帰し、主を誉めたたえて生きられた驚くべき信仰者の姿がそこにあります。私たちも弱さをよくご存知でとりなしていてくださるイエスさまに、御子をお遣わしくださった神に感謝を捧げて生きようではありませんか。